都会人見習いの東京文フリブックレビュー『羽根と根 10号』~同人という場

はじめまして、宮川です。存在感を初めて出します。

この間外で話しかけられて「地方出身でまだよくわかんなくて…」と言ったら「北海道とかじゃない?」って言われました。正解だけど、なんで!?


前回はかくたさんが北大短歌第九号のブックレビューを書いてくれたので(まだお読みでない方はぜひ)

今回は私が東京文フリで買った『羽根と根 10号』について書こうと思います。

2014年創刊の同人「羽根と根」は、今号で10冊目。

まずは、10号までの刊行、本当におめでとうございます!

2014年って、北十の同人はみんな高校1年生(で合ってる?)。

そのときは私たち、みんな北海道にいました。

今はもう社会人も多く、住んでいる場所もばらばらに。

それだけの年、続くってすごい。


  • 特集『羽根と根』のこれまでとこれから


特集として、十号記念座談会等やエッセイ等が掲載されている。

通して、同人という場所について考えさせられた。

北十は高校の文芸部に属していた人がほとんどだが、「たまたま同じ高校に入って、同じ部活に入った」仲間と「3年間だけ」作る機関紙と、「自分たちで集まった」仲間と「終わりはひとまず考えず」作る同人誌はその難しさも、自由さも、儚さも、違う。

環境が変わった。触れる人が変わった。生活が変わった。時間がたつにつれて、趣味から離れていくのはある意味ふつうのことで、別にだれかに決められて、義務で趣味、やっているわけではないからね。

色々と本の中で響く言葉があって、ひとつ紹介する。

そのようなひとが再び短歌に接近したときに、すぐに戻ってこれる場所としての機能も近年の「羽根と根」は果たしていると思う 「不在について」ー阿波野巧也さん

「場」としての同人については北十も考える。

「場」って何。「見せ場」?「行き場」?「発掘場」?…はたまた、「修羅場」か?


色々考えられるけど、

高校で出会って、大学で結成して、社会人になっていって。

夢だっていつの間にか変わっていて、思い出せなくなる仲間だった人がいて。

でも、趣味を続けるのも自由だから、まだ続けるねって人と、少し離れた人もいて、今の同人がある。北十ではなくたってそうだろう。

本に作品を載せていない人だって、さらにはもしかしたら、読者も巻き込んで、同人が「居場所」になることもできるんじゃないかな。そうなっていくといいな。


  • 同人作品紹介

さて、エッセイみたいになってしまったが、残りは、好きな短歌を紹介します。


みかん接種マシーンになって夜一人起きてる。君と遊べたらいいのに 「短歌よめない日記」/今井心さん

機械的に、〇〇をする。そんな言い回しがあるが、「みかん接種マシーン」はもうそれを超えている。感情が何にも揺さぶられず、会いたい人と会えず、ただ、みかんを口に運んでいく。

この歌も、一緒に載せられている散文の部分も、きゅうと胸がしめつけられた。


自画像を描けば高値で売れそうな表情をする。表情は好き。「緑色の満月」/橋爪志保さん

「売れそうな表情」という表現に目がいくが、私は「自画像」というチョイスも印象に残った。「高値で売れそうな表情の絵」というと、真っ先に私が思いついたのはモナリザ。モナリザには自画像説もあるが、基本的には他の人を描いた絵だとされていると思う。むしろ、表情よりも絵の才のほうが、絵が売れるためには重要なはずなのに「自分が描くものが売れる」ことを前提にしてしまっている(ことがぬけている?)この作中主体。…私は表情以外も愛したい。


一度だけだと思われる人生で一度だけ釣りをしたことがある 「ice/steel」 /阿波野巧也さん

2度読み返したくなる歌だと思う。「一度だけだと思われる」が「人生に」かかっているが、「釣り」にかかっているとも読める。釣りをしたきっかけはあったはずで、もうそのきっかけになった人や物とは離れたのかもしれない。

ただ、自分の人生を、自分が語るときはまだ、人生は終わっていないはず。二度目の釣り、いつかできる日がくるかもしれないよ。


ピーコートの直線に暮れの雨は降る死は出生の岐路にあらねば 「死にとって笑いとは何か」 /七戸雅人さん

ピーコートとは、元は軍服で、腰丈のコートだ。ボタンがたくさんある。あったかそうだが、短めのため、さほど防御力は高くない。雨が降ったら、撥水はせずにしみこんでいくだろう。死の悲しみも全てしみこむ。

情景が目に浮かぶような一首だ。


新しい季節のたびに人たちが必要なだけ集める美談 「夢見がち」/牛尾今日子さん

「思い出は美化される」といった表現はよく聞くが、「集める美談」というフレーズが、皮肉的であり、印象的。記憶に散らばっている中から、集める(=抽出する)という作業が必要だ。集める過程で、そのまま記憶の箱の中に置いていかれた「美談」になれなかったものたちもたくさんあるのだろう。


剥離紙のきれいな別離手伝って二度と会わない人元気かな「越冬」 /佐伯紺さん

剥離紙は離れたがっている。自分はそれを手伝っている。そのスタンスに惹かれた。剥離紙は、「手伝って」あげないとはがれることはないのに、一度剥がれたら、もう二度とくっつけないのだ。「二度と会わない人」は「会えない人」ではないのかもしれないが、一度離れたら「会わない人」になってしまう現実。


雪解けをたすけるように降る雨の街をそんなに急がず歩く
この雨があがって路面がかわいたらそこから春ってことにしようか 「そこから春」/中村美智さん

この二首の流れが好きで、二首とも引用する。中村さんは、札幌在住であり、私が所属していた北海道大学短歌会の先輩でもある。雪国の短歌だ…と雪国仲間としては引用せずにはいられなかった。東京では桜が咲くころ、北海道は雪解けの季節になる。なくなりそうでなくならない雪が道路沿いに山をつくっている。この歌の中で、降ったのは雨。雪と雨は共存する短い時間が過ぎたら、そこからは春だ。


問い合わせには徒歩十分と答えるが自分は五分で着く葬儀場 「ラブ・コメディ」佐々木朔さん

Googleマップで道を調べて、かかる時間を見るが、歩くと、私は大抵それよりも多く時間がかかる。全員に合った時間を教えることはできないから仕方ない。

問い合わせには十分と答えるが、自分はそれよりも実際には早く着くことができる。その理由は単純に足がはやいから、というわけではないだろう。足取りが重くなるだろうから、長めに時間を設定しておく、足取りが重くなる理由は自分に関係がないから、早歩きでも良い。



以上、『羽根と根 10号』ブックレビューでした。またどこかで。

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